初代健蔵
初代健蔵は、「流は万流」を常々信条としていました。
つまり、豆腐作りは様々な流派(作り方)があり、豆腐屋は自らその道を究めなければならないと考えていたわけです。ですから、いかに自分流の、おいしいお豆腐作りができるのかを考え、絶え間なく「技」を磨き、「道具」を工夫し、「材料」を吟味していました。
「カラスが鳴かない日はあっても、ふくべ屋さんが来ない日、健蔵さんを見ない日はないね」
小沢豆腐屋初代・小沢健蔵が創業当時、お客様に言われていた言葉です。
その言葉通り、健蔵は毎朝暗いうちから豆腐を作り、ラッパを片手にお豆腐売り歩き、お休みは、元旦の一日だけでした。
ここでは、小沢食品の原点でもある初代健蔵の心意気をご紹介していきます。
現社長(健蔵の長男)がまだ子供の頃の話です。
まだ薄暗い朝、小用で起きた私は、父・健蔵が悠然とお茶を飲んでいる姿をみかけました。その姿があまりにものんびりしているように見えたので、子供の私は事情も分からず大変驚いたのをよく覚えています。父が早起きなのは知っていました。でもそれはお豆腐を作るためだと思っていたわけです。でも、子供の私には、父の様子は、ただのんびりとお茶を飲んでいるようにしか見えなかったのです。
「なんで、わざわざ早起きしてお茶なんか飲んでいたの?」後に父・健蔵に聞いてみたことがあります。
父の答えは、「あぁ、あれは大豆が発芽するのを待ってたんだよ。大豆は、その日の気温によって発芽する頃合いが違ぁんだ。ただ乾燥した大豆を水に漬けておくんじゃ駄目なんだ。豆腐を作るのに最良の頃合いってのがあんだょ。大豆は生きてっかんな。その細胞の隅々に水がしみとおるのを待ってたんだよ」
少し補足すると、この“頃合い”を見計らうことで、つぶした大豆に含まれる水分が変わってきます。おいしい豆腐を作るには、絶妙な水分の含み具合まで待つ必要があったのです。
ただし、季節や日々の気温により、この“頃合い”は変化します。ですから最良の頃合いを見極める「技」は簡単ではありません。
まさに、匠の技です。
このように健蔵は、効率ばかりを優先した「作業」ではなく、常に美味しい豆腐を作ることに情熱を傾けた「技」を極めようとしていました。
明治生まれの初代健蔵が生涯を通して身につけた豆腐職人としての「技」は、幸いなことに私が直接学び取り、引き継ぎました。その「技」と、それを裏付ける理論と実践こそが、今の小沢食品の美味しいお豆腐作りの原点となっているのです。小沢食品では、こうした「技」を衛生的で現代的な設備の中で実現させています。
小沢食品では大豆をじっくりと時間をかけて煮ています。効率を優先させるならば、高温でたくさんの豆を一気に煮てしまうのが一番です。しかし、それでは美味しいお豆腐はできません。 お豆腐の植物性たんぱく質は急激な加熱により変質してしまい、味が落ちてしまうからです。
小沢食品では、健蔵から継承した“頃合い”を見極める「技」を駆使しながら、じっくりと時間をかけて大豆を煮込んでいます。
お豆腐を“ にがり”で凝固させることは、ご存知だと思います。ただし、本当に美味しいお豆腐を作るには、ただ“にがり”を混ぜればいいというものではありません。
まず、「豆乳の温度」「“にがり”の濃度」「豆乳と“にがり”の量」……これら3つの要素をバランスよく混ぜる必要があります。
また“にがり”をいかに「短時間」で「均一に混ぜる」かも重要な「技」のひとつです。
このバランスと時間の見極めもお豆腐の美味しさを左右する匠の「技」といえます。小沢食品は、初代健蔵からこうした「技」を継承し、現代的な生産過程において実現することに成功しました。一口目の食感と深みのある美味しさのは、こうした「技」の力が作り出しています。
初代健蔵は、
「美味しい豆腐は生きている大豆から作られる」
と常々周囲の人間に話していました。やはり、素材の良し悪しはもちろんですが、いかに新鮮で、太陽のエネルギーがぎゅうぎゅうにつまった、“生きている大豆”を使うかが重要です。
“生きている大豆”とは、「水につけた時に発芽する大豆」のことです。
小沢食品では、健蔵の信条を継承し、発芽する大豆を原材料として使い、生きたまま保つために冷蔵倉庫での保管を徹底し、お豆腐作りをしています。
どのように育てられた大豆なのかも大変重要な要素になります。
小沢食品では、JAとの契約により、生産者と畑が明確な茨城県産の大豆を使用しています(一部使用していない商品もあります)。
品種は糖質の高い「タチナガハ種」を使っています。 「タチナガハ種」は、糖質が高い分、他の大豆より大豆たんぱく質が少なく製造が難しいと言われています。そこは健蔵の「技」をもって、美味しいお豆腐に仕上げています。
水戸納豆には小粒が使われていますが、お豆腐作りには、 大粒の方が大豆たんぱく質を多く含み、品質が安定するため、大粒の大豆を使用しています。
健蔵は、お豆腐の製造工程を極めるため道具を納得いくまで自作していました。
当時、隣にあった木工所で、板を削り、幅や長さを変え、何度も納得のいくまで、“にがり”を混ぜる櫂(かい)を作り直していました。
また、水に漬けた大豆を磨り潰す石臼の「2つの石の合わせ面」の溝は、美味しいお豆腐作りに大きな影響を与えるため、業者に頼むことなく毎日のように自ら手入れをしていました。
当時の一般的な豆腐店では大釜を使い、直火で大豆を煮込んでいました。しかし、直火で煮込むと大豆が焦げてしましい、焦げ臭い豆腐ができてしまうことがあります。
この問題を解消するために、業界では蒸気による大豆の煮込みが試験的に行われていましたが、町の豆腐屋ではまだまだ実用的に導入する段階ではありませんでした。
そこで健蔵は、この先進的な製法を導入するために、なんと自分で工夫を凝らした簡易式の蒸気ボイラーを作ってしまいます。自ら図面を引き、鉄工所に依頼し、結局、どこにもない新方式の設備を開発してしまいました。
このように、健蔵は自分で工夫を重ね、「道具」を作り、使いこみ、改良を重ね、豆腐作り一つひとつの工程を極めることに精力を傾けました。
お豆腐を長持ちさせ、安心して食べていただくために、現代における殺菌工程は不可欠のものになっております。通常は、お豆腐を高温で湯煎して殺菌するのですが、これだと健蔵が心配していた大豆たんぱく質に変質が起こってしまい、お豆腐の味が損なわれてしまいます。
そこで小沢食品では、スチームによる殺菌設備を導入してしいます。
このシステムの導入により、雑菌を殺菌できるだけでなく、お豆腐の“もち”が数日違ってきます。このような妥協のない設備投資の結果、美味しくて、安心して食べていただけるお豆腐をみなさまなの食卓にお届けすることができるのです。
すべての過程を手作りにした場合、果たして、商品として成り立つかは大きな疑問です。できたとしても、生産コストが跳ね上がり、多くの方にお届けできるお豆腐ではなくなってしまうでしょう。また衛生面でも問題が起きやすくなることも見逃せません。
そこで小沢食品は、できるだけ人が直接手がける製作過程を残しつつ、様々な部分で自動化を進めてきました。
中でも健蔵が工夫を重ねた豆腐の凝固過程は、お豆腐作りの肝ともいえるべき部分です。この製作過程は、設備業者と共に自社の工夫を盛り込んだオリジナルの設備と製作工程を開発してきました。